トリプルネガティブ乳がん 抗がん剤治療 2回目の投与記録 心境の変化
みなさんこんにちは。
サバイバーさとみです。
今日もまた、
抗がん剤治療の2回目の投与記録を記載していきます。
日付は、令和元年9月10日からです。
では、スタートです。
令和元年9月10日19日目
右手の親指・人差し指・中指の痺れ
左手の親指・人差し指の痺れ
令和元年9月11日20日目
痺れ。
令和元年9月12日21日目
痺れ。
令和元年9月13日22日目へ続く。
9月12日まで痺れのメモのみ。。。
関節痛はメモ書きしていない日もありますが
4回目の抗がん剤投与終了まで、毎日ありました。
通常、アブラキサンの治療は
3週間(21日間)をひと区切り(1コース)
として行います。
なので、令和元年9月13日22日目へ続くということは
今回3週間(21日間)をひと区切り(1コース)では
なかったということになります。
抗がん剤治療 1回目の投与の時にすでに3回目まで
予約は入っていました。
もちろん当日の採血検査の状況により
投与の可否が決まりますが、、、
その予約の際に主治医から
「3回目は、私が不在なので、4週間空きます」
と告げられていました。。。
乳腺外科の担当医が1人のみ・・・
主治医であり、執刀医であり、忙しい。
もう少し後の話でも、投与日を延長した回があります。
まあ、そこはお正月が絡んでいたので
しょうがないかもしれませんが。
その時も、今回も
そもそも最初の段階で、投与日のプランを
キチンと組んでいればよかったのではないか?
と、感じてはいたのですが、、、
今となっては、結果オーライ!!です!
もちろん、そうでなかったにしても
あの時こうだったら、のタラレバは
今の私は思いもしなくなりました。
考え方が良い方向に向いてきたんです。
病気をしたことによって。。。
今年の年明けあたり、こんな事もありました。
都内に住むオジから電話が来たのです。
母の兄に当たる方です。
川崎から引っ越す前に、挨拶に行き
私たちが青森に住んでいる事は知っています。
お子ちゃまが生まれた時も
お知らせをしていますので知っています。
なのに、すでにもう一年も経ってから、
わざわざお子ちゃまの誕生を祝っての電話だったのです。。。
前にも話はしたのになぁ。。。。。
電話が終わってから、
なんかこうモヤモヤした気持ちがあったので
オジのそばに住む、私の姉に連絡しました。
なんか、おじちゃんの様子がおかしかったから
ねえちゃん直ぐ電話してって。。。
そしたらオジは、前立腺癌になったと。
お子ちゃまの誕生を祝っての電話というのは
口実だったのかな。。。でも私には言えなかったみたい。
なんか胸騒ぎがしたんですね、私。
それを聞いてビッグマザーねえちゃんは
私のことをこう言うんです。
「病気をしたことで人の気持ちがわかるように成長したんだね」と。
もちろん自分では何も感じませんし
いつまでたっても子どもと一緒!なんて言われてます!
でもきっと、病気をしたことによって
人の気持ちを感じ取ったり、周りを見渡せたり、
考え方が良い方向に向いてきたんですね。
結果オーライと言えるようになったように
石橋を叩いて渡るのも、いつのまにか辞めている。
その分歩調が軽やかになてきた♪
人生悪いことばかりじゃないです!
心配性はもう少し続きそうですけど。