トリプルネガティブ乳がん 癒しの空間 其の27
みなさんこんにちは。
サバイバーさとみです。
今日の『癒しの空間』は、
先日行ってきました八戸市内での一コマ。
コロナなどの影響を考え
足を踏み入れなかったわけでも無く
たまたま他のお店に
(フルーツパーラーや、パン屋さん)
行くのが目的だったので、、、
ほんと通りがかったところで
偶然、名所旧跡に出会った〜ぁ!
といった具合です。
なんか、得した気分♡
前置きが長くなってしまいましたが
写真は、八戸城角御殿表門 - 青森県重宝です。
「古桜門」とも言われ
現在は南部会館という建物の
表門となっています。
この重厚感!
学生時代に
この辺りをウロウロしていた夫から言わせると
そんな大したことないって言ってましたが、、、
いやいや素晴らしいでしょう!!
こんな歴史的建造物が身近にあると
感性豊かな学生生活がおくれるであろうと
私ならワクワクしてしまいます。
昔、この表門があったところは
八戸城と呼ばれていました。
八戸城は南部直房の居城として
知られています。
もともとは根城の支城として
築いた館だったものを
南部重直の死にともない
修築して利用しました。
御殿や蔵のみで
天守や櫓などを持たない政庁でしたが
当時は城下町も整備されていました。
城址は現在「三八城公園」になっています。
ちょうど「古桜門」の斜め向かいにあたります。
その公園内にある
三八城神社付近に御殿があったそうです。
遺構は土塁や堀跡が一部残されているだけです。
また八戸市博物館に復元模型が展示されています。
●築主: 南部直房
●築城: 寛文四年(1664年)
今度は公園に行ってみたいなぁ。
ちょっと蘊蓄。
日本100名城に、その
【根城】が選定されています。
- 優れた文化財・史跡であること
- 著名な歴史の舞台であること
- 時代・地域の代表であること
が、選定基準ですが
地域的特色から欠かせない城として
中世南部の根城が
選定されたようです。
根城の創築は鎌倉時代までさかのぼる。。。
国司代に任じられた南部師行が
城として修築しました。
建武元年(1334年)。
秀吉の諸城破却令により
堀などは壊され
居館などは残りましたが
その後廃城となります。
近年になって発掘調査が行われ
復元、史跡公園となりました。
根城は、中世期の城が復元された
初の事例として脚光を浴びたそうです。
ここに、八戸市博物館があります。
南部氏といえば
思い出す方が多いかと思いますが
ここにも南部氏はいたのですね。
南部氏家系。
先日の櫛引八幡宮からのパネルを拝借。
以前、盛岡城に訪れた時
日本100名城のスタンプ帳を忘れて
城に向かうという痛恨のミス!!
仕方なく備え付けであった付箋にポン!
当時はまだ川崎に住んでいましたので
諦めていました💧
今、青森に越して来て
岩手はお隣の県。。。
だがしかし、
今住んでいるところからでも
車で片道150キロ、2時間越え!
いつになったら行ける??
※諸説あり
盛岡藩の初代藩主・南部利直が
自ら三八城山の縄張り(設計)をして
八戸城の改修と八戸城下町の
整備を行ったとされます。
そのため
八戸城の築城者は
この南部利直ともされます。